2024.12.27
「あれからニシンは どこに行ったやら~♪」
大好きな北原ミレイさんの「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介)ですが、この唄の一節にあるように、このところ近所のスーパーからニシンの甘露煮が一斉に消えていました(小生はにしん蕎麦用に時折購入していました)。
年末特有の動きかと思っていましたが、昨日ようやくとあるスーパーの店頭に復帰。いつもの製品とは異なりましたが、石川県の新屋食品さんの姿煮で、大野の醤油、珠洲の塩を使用とあります。
ちなみにニシンは春告魚とも呼ばれるそうですが、魚へんに「春」と書く「さわら」が、春告魚かと思っていました。季語の世界ではサワラは春、ニシンは夏の季語だそうです。
いずれにせよニシン好きには春夏秋冬楽しみたいです。
また石狩挽歌の記念碑が小樽西北の祝津岬の鰊御殿(旧青山別邸)にあるそうで、こちらも訪れてみたいものですね。
2024.12.25
「舟唄」と「駅・STATION」
八代亜紀さんが亡くなられて間もなく1年を迎えます。
好きな唄がいくつかある彼女の訃報には驚いたものですが、その一周忌を迎えるのあたり、東京新聞の12月8日付けに「あの人を思い浮かべて・100年の残響」という特集記事が彼女の「舟唄」を取りあげていました。
記事によれば高倉健主演の映画「駅・STATION」(1981年公開、降旗康男・監督、倉本聰・脚本)の中で「舟唄」が3回流れているといいます。
早速DVDを取り寄せし久しぶりに鑑賞(前回観たのはいつか記憶にありませんが、高倉健主演ということと、憶えているのは桐子役の倍賞千恵子と留萌で映画を見た帰りに、結ばれた際の高倉健のセリフ(もしくは独り言)に「樺太まで聞こえるかとおもったぜ」、というのがありこのセリフが妙に記憶に残りました。また東映任侠もの映画で一世を風靡した高倉健や池辺良が、逆にデカ役という180度変わった違和感?も)。
さて今回この映画をもう一度と思った理由には東京新聞記事のほかに、映画の舞台に留萌、増毛などが登場していたことです。
私が初めて東京に転勤してきて、仲の良くなったご近所さんの奥さんに留萌出身の方がおられました。
また城巡りの師匠の奥様も苫前という留萌から近いところのご出身で、その師匠が奥様の実家の墓仕舞の際に頂いたお土産が、増毛の「国稀」であったりと比較的映画のにゆかりのある地が多かったことにあります。
留萌駅からの羽幌線、国鉄分割民営化を前に苫前駅は1987年に廃駅、留萌本線の終着駅・増毛駅も2016年に廃駅、留萌駅も昨年2023年にとうとう廃駅となっていますが、次回の北海道旅行では銭函(小樽本線)、増毛、留萌、苫前と訪ねてみたいものです。
ちなみに国稀は「駅・STATION」の中でも登場しています{居酒屋「桐子」の棚に陶器製の酒樽がはっきり)し、国稀酒造(明治15年創業、創業者本間泰蔵は佐渡出身)さんは同作品のロケ地にもなっています。
またニシンで栄えた増毛ですが、増毛のニシン漁隆盛の基礎を築いた一人、松前商人・村山 伝兵衛は能登阿部屋(あぶや・現在の石川県志賀町阿部屋)の出身だそうです。
「国稀」は当ブログでも紹介しています。
その1 その2
2024.03.06
川は流れる(仲宗根美樹)
ちなみに小生の青春時代に皆とよく歌った「川」の歌といえばザ・ナターシャセブン(107 SONG BOOK)の「山と川」(原詞・パブロ・ネルーダ、訳詞・笠木 透、1978年)でしょうか。写真は2008年の河津桜まつりにて。下3点は「川」の名前の付いた銘酒で、左から山形県小国の桜川、故郷石川の手取川、三重の鈴鹿川。
2023.05.21
タブレット純の算数問題ネタが論文に登場していました!
文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で初めてタブレット純という芸人を知って以降、すっかり彼のファンになっていますが、先日、YouTubeをうろついていたら、すっかり感心させられたネタがありました。
子どもの教育とは?問題の読解力とは何か?について改めて考えさせられ、単なる漫才ネタとは思えない、深く考えさせられる機会を頂きました。そのネタとは⇒こちら
算数の文章題が苦手というタブレット純ですが、実は苦手というのはある一面的な見方に基づくもので、他人や物事を理解し考える考察洞察力に優れた感受性の持ち主と評価できるのではと思いました。
しかも、小生だけではなく、少なからずこのタブレット純の思考を評価するようなブログが見られ、なんと中には論文さえ発見!です。
「算数科における読解力について II-認知能力と非認知能力-」(北陸学院大学・北陸学院大学短期大学部研究紀要 第12号(2019年度)、姫野 俊幸)⇒こちら
ここの「12-02 himeno」のpdfです。
姫野先生は現在は岡山の学校法人中国学園「中国学園大学、中国短期大学」の教授で数学理論などを教えておられます。
弟子たちの教育にもタブレット純的思考を活かしていきたいと思います。難解意味不明のような算数の読解力問題をすらすら解ける子供たちよりも、一歩立ち止まり問題そのものを俯瞰できる多面的思考教育こそ、人材育成でなく人財育成になるのではと。


