2023.03.27

萩日吉神社の狛猿と児持杉

狛犬ならぬお猿様がお迎えてくれます。
子供を抱く吽形(左側)と桃を食べる阿形(右側)の猿には戌年の小生でも表情が和らぎます。
面積の約7割を山林が占めるという「木のくに」埼玉県ときがわ町は「巨木の里」として知られ、今回はこの萩日吉神社の鳥居の横にそびえ立つ児持杉(樹齢推定八百年)を師匠と訪れました。児持杉は男杉と女杉からなり、子授けのご利益で知られます。
毎年1月第3日曜日の例大祭では、ときがわ町にある白楊(どろのき)の木を使った神猿の人形がいただけるそうです。

鳥居と児持杉

児持杉

萩日吉神社の神楽殿

2023.03.21

正法寺の大銀杏と箭弓稲荷神社

東松山の正法寺から箭弓(やきゅう)稲荷神社に向かうみちすがら、灰田勝彦の「野球小僧に逢ったかい♪♪♪」を口ずさむと、師匠から「よくそんな古い歌知ってるねー」とのお言葉を。
はい、この歌(昭和26年、佐伯孝夫・作曲、 佐々木俊一・作詞、日本ビクター)、特に今では「野球小僧は ウデ自慢 凄いピッチャーで バッターで」の歌詞が大谷翔平を彷彿とさせますね。
そうこうするうちに箭弓稲荷神社へ。このWBCの影響でヌートバー選手のお母さんの出身地、埼玉県東松山市が大変盛り上がっており、その東松山にあるその名も「やきゅう神社」への参拝者が増えていると聞きました。
たしかに絵馬にはボールやバット、バッターの絵のものも散見されるほか、侍ジャパンの必勝を祈願したものも観られました。
さて正法寺の大銀杏ですが、やはり銀杏は銀杏の葉が色づいている頃にまた訪ねてみたいものです。また、ここと源頼朝や鎌倉との関係が面白く、この関係でも再訪有りです。
岩殿観音正法寺さんサイトが勉強になります。

岩殿観音として親しまれている正法寺の大銀杏、樹齢は700年を超えると推定されていますが、やはり銀杏は黄葉がいっぱいの時期がいいですね。

2023.02.17

早咲き桜の土肥桜

これまで伊豆の河津さくらを早咲き桜の代表のように思っていましたが、今回の旅で西伊豆の土肥(とい)の土肥桜を知りました。
濃いピンク色の華やかな桜は、まだ河津さくらがぼちぼち咲こうかといった頃には既に見頃を迎えていました。

2023.02.13

水仙に迎えられ爪木崎を歩いてきました

爪木島の向こうに利島がよく見えます。利島と新島の間は三宅島でしょうか。水仙まつりは1月末まででしたがまだまだ咲いています。
素晴らしい遊歩道が続いていました。

現存する日本最古の洋式石造灯台の神子元島(みこもとじま)燈台(1871年、明治3年)もばっちし見えました。


2023.02.11

戸田造船郷土資料博物館

日本で初めて造られた洋式帆船「ヘダ号」のことを知ったのは、2015年に読んだ「銭屋五兵衛と冒険者たち」(集英社文庫、童門 冬二・著、2005年12月発行)の中でした。
以来、その歴史が学べる同博物館を訪れる機会をうかがっていましたがこの度ようやく実現となりました。
1854年11月、ニコライ一世の命を受けたロシア使節(全権使節)エフィム・プチャーチンはディアナ号で下田に入港。
しかし安政の大地震に見舞われディアナ号が破損。修復へと戸田に向かうも結局ディアナ号は沈没。そのディアナ号の代船として日本の船大工が結集しロシア人と共にわずか3か月ほどで、日本初の洋式帆船「ヘダ号」を作り、このことが日本のその後の近代造船の始まりになったといいます。
安政の大地震に際し自らの被害もありながら、プチャーチン一行は、波にさらわれた日本人を救助し、船医が看護したともいいます。また一方でデァイナ号が沈んだ際には周囲の村人たちがロシア人乗船員たち500余名を救助したそうです。まさに友愛の絆です。
プチャーチンは後年、日露修好通商条約の締結(1858年)にも来日していますが、日本とロシアの友好の礎がこの「ヘダ号」にあったといえます。

プチャーチンには1881年(明治14年)、日露友好に貢献した功績により日本政府から勲一等旭日章が贈られています。
当博物館の前にある「日ソ友愛の像」の石碑には、
「海は世界をつなぐ、友愛のきずなである。孤立した島から、大陸から人はこのきずなによって結ばれ それぞれの文化を高め文明を築いて生きた 幕末の頃 プチャーチン提督の乗艦ディアナ号が遭難するや戸田の人々はこれを助け露国人と共に協力して代艦戸田号を建造した。
友愛の灯はこの時 あかあか と二つの国を映したのだ 爾来幾星霜世相はどのように変ろうとも二つの国の人々の心の奥底に友愛の灯は決して消え失せることはないであろう
 村長 山田三郎 謹書」
とあります。
1969年、この博物館の建設にあたり当時のトロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使は、直接戸田を訪れソビエト連邦政府からの500万円を戸田に寄付しています。
「こんな時代もあーったのね」では済ませられませんね。
プーチンの蛮行によって両国の友愛の灯を絶やしてはならないと思います。

ちなみに軍艦9隻を率いながら江戸湾へ入港し、幕府を威圧しながら日米和親条約(神奈川条約、1854年)の締結に持ち込んだペリーに対し、プチャーチンの外交姿勢はシーボルトの進言もあり紳士的なアプローチだったといいます。教科書にものり誰もが知るペリーに対し、もっとプチャーチンに光が当たるべきだとも思います。


2023.01.26

ラヂオ体操

一日のスタートを調える日課として基本的に毎朝ラジオ体操をしています。
旅先のホテルや公園でもできる限りです。
一方で近所の公園などでは学童による夏休みのラジオ体操はまったく見かけなくなってしまいました。
コロナの影響もあるかと思いますが寂しい限りです。
このポスターは昭和の町・豊後高田に貼られていたものですがラジオ体操を昭和の遺物としてしまうのは悲しいものですね。
 
徳島の天神社で出会ったラジオ体操像


2023.01.23

ジャパンレッドの吹屋を訪ねる

前々から訪ねてみたかった赤い瓦とベンガラ格子の家々が連なる「ジャパンレッド」の町、岡山県高梁市成羽町の吹矢地区を年末に訪ねて来ました。
 
国内有数の弁柄と銅(あかがね)の産地として栄えた吹屋には、明治のころ、瀬戸内海の笠岡や西浜から人足で魚を運んだ「とと道」がつながり、この古道の終点としてもいつかは歩いてみたいと思います。


2023.01.21

ここだったんだチロルチョコ

行き当たりばっ旅の面白さの一つ、それは想定外の出会いですね。
大宰府を目指し国道201号を走っていると「チロルチョコ」の大きな看板が目に入りました。
ここで通り過ごしてしまえばそれでおしまいですが、食いしん坊の直観がピーンときて、もしやあのチロルチョコの本社か工場?との連想が働き急遽訪問。工場見学は叶いませんでしたが近くにアウトレットショップがあるとのことでさっそくです。
嬉しい突然の出会いとでもいうのでしょうか?


チロルチョコを製造する松尾製菓株式会社さん(明治36年から現田川市で菓子製造、チロルチョコ部門は昭和37年から))


2023.01.12

豊前海の魚介類に魅せられて

福岡県の東部沿岸から大分県の北部沿岸の周防灘南部海域で沿岸部は遠浅で日本三大干潟の一つという(残る2つは、有明海、八代海)。
地魚の宝庫であるこの海域の海産物を取り扱う「自由市場」(豊前市大字千束16-1)に「大きな机」からのついでに年末立ち寄ってきました。
もちろん自由市場には魚介類以外もたくさん販売されています。


ハモ(ハム)、主に底びき網で獲るそうです

ベタ  高級魚の舌平目のことだそうです。
オオスダレ貝 産地以外の市場ではまずおめにかかれないとか?
赤ナマコのほうがナマコより少したかいのですね

2023.01.12

旅人をねんごろにせよ

高等温泉で今回の九州旅のスタートを切ったあとは別府駅前を散策してみました。
迎えてくれたのはオジサンが万歳をしているような妙なブロンズ像です。
別府観光の父と呼ばれた油屋熊八(1863~1935)の銅像で、「旅人をねんごろにせよ」とは、熊八が単身アメリカへ渡航中に出会った日系人牧師から教えられたという新約聖書に書かれた一説からで、熊八の別府での旅館業の基本的精神となった言葉だそうです。
いい言葉ですね。
すでに駅前高等温泉や阿蘇りんどう牛乳で「懇ろ(ねんごろ)」にされたと痛感していた小生には身に染みる言葉です。

2023.01.09

大阪から船に乗って 別府に着いた~♪

憧れの船旅が実現しました。「さんふらわあ」で大阪南港から別府の、瀬戸内海の旅です。
夜の出港、朝の入港ですから、夜の瀬戸内海や夜景は明石大橋まであたりでした(走ってもくぐっても素晴らしい橋です)。
船内では大浴場も楽しみしにていましたので、風呂上がりにパブリックスペース(展望デッキ)で飲むビールは最高でした。もちろん貧乏旅行ですので夕食のお弁当やビール、つまみは南港近くのスーパーで調達しています。こちらで船が著名な橋をくぐる予定時間がわかります


大阪南港で出港を待つあいぼり

大阪南港のターミナル受付

まもなく明石大橋をくぐります

明石大橋

2023.01.08

大和三山を眺め深呼吸するって最高!

奈良では一番好きな場所かもしれません。明日香村もお気に入りなんですが、とりわけこの甘樫丘を散策することが好きです。
大体は朝の清々しい時間に歩き、展望台から畝傍山、耳成山、天香山と眺め悠久の昔から変わらぬであろう、この風景に喜びを覚えます。いつ来ても何度来ても、飽きることのないとっておきの場所です。


2023.01.07

岡崎の八丁味噌2社を応援します

2017年、地域ブランドの特性を活かそうという趣意で始まった「地理的表示保護制度」(略称:GI)。
しかしこのGI登録をめぐって「八丁味噌」に関しては、どうも合点がいかず、応援したい気持ちもあり岡崎の2社を年末に訪ねて来ました。
「八丁味噌」について、2017年12月、農水省は愛知県下全域の業者に対しGIの登録を認可。しかし岡崎の2社はこれに異を唱え、登録は無効にすべきとして、2018年3月に行政不服審査法に基づく審査を申し立てました。
この岡崎の2社は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」には非加盟でもあり、そもそも岡崎の2社以外の会社が八丁味噌を名乗ることに反発しており、小生も同感であります。
このままでは本家が元々の製品名を名乗れない状況にもなりかねず、何やら中国で起こった「無印良品」のケースに似た状況を危惧しています。
岡崎市八帖町の 「株式会社まるや八丁味噌」と「合資会社八丁味噌」(「カクキュー」ブランドを展開)さんの2社を消費者としても応援したいところです。


昭和20年代の観光ポスター

カクキューさんの食事処でいただいた八丁味噌を使った味噌カツ定食。さすがです。
この味噌カツ定食に出された赤だしが美味かったので、売店ではこの赤だしを購入。
「やはぎばし」は愛知県岡崎市にある矢作橋。
自宅でもおにぎりとこの八丁味噌の赤だしでランチとしてみました。