2024.3.26

杉沢の沢スギ(入善町)

朝日町から入善へ移動し、訪ねたのが國指定天然記念物の杉林です。
通常山で見かける杉林ですが、ここは海岸沿いにあり、国内では珍しい平地のスギ林になります。
立派な見学施設「沢スギ記念館」と遊歩道があります。
黒部川扇状地末端部に位置し、小川が流れ地下水の湧出する沢に自生するスギを沢スギと呼んでいましたそうです。

2024.3.25

塩工場跡の清水(朝日町)

栄食堂さんでお腹を満たした後は湧水地巡りです。
まずは朝日町の塩工場跡地に残る湧水地です。朝日町のホームページによれば「戦後まもなく塩不足に対処するため北陸配電(株)が製塩工場を稼働させ、その時にこの清水場が作られました。工場は昭和28年ごろに廃止されましたが、今も、名前と清水が残っています。」と有ります。
すぐそこが日本海ですのでこの清水を飲みながらの海の眺めも最高です!

2024.3.23

3月末で閉店とは寂しいです。地魚料理専門店「満更」(魚津)

魚津の夕食に選んだのは城巡りの師匠に日本海の地魚を堪能してもらいたいと「満更」さんを選びました。
お造りはハチメを中心にフクラギなど、庶民的な地元の漁港であがったその時々の魚をさばいてくれます。
故郷ではすまし汁でいただくげんげ(故郷ではビードロウオと呼んでいました)の唐揚げも最高でした。
調子に乗ってお銚子3本(銀盤×2、立山×1)!!!本当に久々の熱燗に大丈夫かい?心配しましたがなんてことありませんでした。
 
店頭に3月末で閉店との張り紙あり寂しい限りです。

2024.3.22

北陸の冬はタラ汁でしょ!

既に春の季節ですが、今季はまだ鱈汁にありついておらず、その鱈汁初めてという城巡りの師匠を伴い富山路を旅してきました。
まずは朝日町で鱈汁です。
今回選んだ「栄食堂」さんほか「ドライブイン金森」や「ひまつぶし」さんなど鱈汁の名店がひしめき、さしずめ鱈汁銀座です。
栄食堂さんでは人数分の鱈汁を鍋で提供してくれる他、ショーケースには季節に応じていく種かの小料理もチョイスできます。
師匠はさっそくバイガイを手にしていました。

2024.2.20

水戸市立西部図書館

1月の東洋文庫ミュージアムへのきっかけとなりました東京新聞の「司書記者の旅をする本棚」。
2月8日付けでは”ぐるり「知」の円 聖地巡礼へ誘う”として水戸市立西部図書館(開館は1992年)が紹介されていました。
「吉田五十八賞」を受賞した建物だけに、本好きや建築物好きにとっても惹かれる場所です。「円」という空間は本を物色する上でも合理的に巡回できる嬉しい迷宮です。
写真撮影は許可申請で可能としてくれること、市外在住者でも図書カードが作れることもありがたい配慮でした。映画のロケ地としても知られており「水戸市 ロケ地めぐりMAP」というパンフレットも用意されていました。

ゲバラに白洲正子に渋沢栄一、うれしくなる配列ですね。

館内に貼られていたポスター

2024.1.30

山形の故郷の味・味噌餅

山形置賜地方の郷土食「味噌餅」を、小国町樽口でのさいとう(斎燈、斎塔)焼き(全国的にはどんど焼きとか左義長と呼ばれる小正月の行事)の場で、初めて初めて頂きました。
斎燈(斎塔)と呼ばれるやぐらを作り、正月飾りや古い御札などを燃やし、一緒に餅などを焼きますが、その餅の中にあったのが味噌餅です。
この手作りの味噌餅に魅せられて帰路幾つかのスーパーを覗いてみました。色んな種類の味噌餅が売られていて豆入りをチョイス。
購入したのは長井市の萬寿屋さんの味噌餅ですが3月までは販売されているようです。今度は直接萬寿屋さんの店頭に伺いたくなります。

2024.1.20

旧殿居小学校維新分校(山口)

下関から長門方面への道すがら、ナビの誘導に騙され走った国道491号線(大型車通行不可とあったように山道が連続、いわゆる「酷道」)の途中、唯一救われた佇まいとの出会いでした。
昭和46年に閉校となった校舎で現在は清流館として地域の農業文化の継承の場として使用されているようです。
以下
本来は明治8年に明治新政府の教育振興政策の広まりにより杢路地(むくろじ)村野谷(のたに)に開智校舎を設置したのが始まりである。
その後幾度か名前を変え、昭和10年に殿居小学校維新分校として、この地に移転し、多くの農家師弟達の育成を担ってきた。昭和46年に統合廃校後「維新村塾」という名前で、青少年研修や農家による集落営農取組の場として利用されてきた。
と当地の解説板にありました。さすが維新の匂いが色濃く残る山口です。
山口県下関市豊田町大字杢路子1441-2


2024.1.16

久原のあごだし醤油

前回の九州の旅では大分のフジシン醤油を調達してきましたが、今回は福岡の久原醤油さんの「あごだし醤油 あまくち」です。
冷奴や焼き魚、卵かけご飯、目玉焼き、おひたしなどなどいろいろあるようですが、お雑煮に使ってみました。
三つ葉がなくセロリの葉で代用しましたが結構いけました。


2024.1.7

柚子の甘露煮

湯布院から天ケ瀬温泉へ向かう道すがら立ち寄った道の駅「慈恩の滝くす」(大分県玖珠郡玖珠町)にて購入した初めての味です。
甘さ控え目で文句なしで「お気に入りに追加」です。
ゆずの皮煮は大分県の郷土料理でお茶うけやお節料理の一品に用いられるそうです。


2023.11.25

辰馬食堂のちらし寿司セット

石上神社までの山の辺の道を歩き、天理駅まで歩く道すがら、昼食は天理本通り商店街のアーケードの食堂でとることにしています。
今回も前に訪れたことのある辰馬食堂さんでちらし寿司ときつねうどんのセットメニューをいただき、今回の山の辺の道を締めくくりました。


2023.11.24

柿もなか

柿専門店・石井物産(奈良県五條市西吉野町、創業1965年、西吉野は全国有数の柿の生産地)の国産もち米100%使用の柿の形の最中皮に包まれた柿餡の最中です。
白餡や小豆餡を一切つかわない柿だけの餡で1つの最中には約半分の柿が使われているそうです。
ほんのりとした柿の甘さと旨さが口の中に広がりました。
初めて訪れた天理の道の駅「なら歴史芸術文化村」で購入。
背景は山の辺の道で調達した柿です。


2023.11.22

山の辺の道を歩く楽しみはこれですね

幾度となく歩いているお気に入りの古道ですが、この地域の空気や佇まい、何より無人販売されている果物や野菜などをいつも楽しみにしています。
これら無人販売所で買った柿やみかんを食べながら、和気藹々と友人たちと歩く時間は幸せの時間そのものです。

今年も冬桜に迎えられました。


2023.11.21

山の辺の道で相撲神社へ寄り道

時折、山の辺の道(大神神社から石上神社)を歩いています。
11月が圧倒的に多く、山岳部の先輩や親戚、友人とともに、何度か同じコースを飽きることもなく歩いていますが、今回は白山の仲間との散策です。
これまでも何度か歩いているルートですが、今回は初めて桜井市穴師の「相撲神社」を訪ねてみました。
何度歩いても新しい発見が嬉しいです。

德勝龍は、奈良市出身

土俵もあります

ここでレイチェル・カーソンの名前を目にするとは思いませんでした


2023.11.01

水海道の諏訪神社

団子詣での後は神社参詣です。
旧水海道町(水海道市が石下町を編入し常総市へ)のほぼ中心にある諏訪神社ですが、ケヤキが立派。狛犬も素晴らしいです。
町の名前も諏訪町でまさに水街道の鎮守様です。
毎年10月10日は例大祭だそうです。


2023.10.19

加賀前田藩下屋敷

先日、板橋の植村直己冒険館を尋ねた際に、この近辺には加賀前田藩の下屋敷があった関係で金沢にまつわる地名や施設が多くあることをしりましたが、今回その下屋敷跡をズバリ訪ねてきました。
ちなみに下屋敷とは国元から届く米や各種物資などを一旦貯蔵する蔵屋敷としての役割を持つほか(中山道の板橋宿の近くに下屋敷はあります)、江戸城から離れた郊外にあることから、庭園を有し鷹狩や接待のために作られた別荘としての機能ももちあわせるといいます。
一方で中屋敷は上屋敷の控えとして隠居した主や成人した後継ぎの用の屋敷として、また上屋敷は大名とその家族が居住し、江戸における藩と幕府のフロント、政治的機構が置かれた屋敷でといいます。
下屋敷の築山の麓には板橋区が金沢市と有効都市協定を締結したことを祈念する尾山神社の神門ステンドグラスのモニュメントがあります。


2023.10.03

HUMP ROAST BEANS

南アルプスと中央アルプスに挟まれた(飯島町田切)、標高800mのところにある家具工房HUMPさんの自家焙煎珈琲です。
道の駅「花の里いいじま」で購入しました。
この飯島町ですが例年秋(9~10月)には週末に花火が打ち上げられています。ちょうど9月16日の花火にで出くわし、驚きとともに感激しました。
15時のおやつタイムにシャトレーゼのモンブランと共にいただきました。


2023.10.02

セルフタイマー ギャラリー(植村冒険館)

植村直己がデナリで消息を絶ったのは1984年、当時山仲間と安否について連絡を取り合っていたことが強く印象に残っています。
「青春を山に賭けて」はバイブルで、スケールの大きさの違いはあるにせよ自分自身も山が中心の生活が青春時代でした。その植村直己が暮らしていた板橋の植村冒険館は現在の形にリニューアル前に一度訪れていましたが、今回は新しい冒険館(2021年12月オープン)を訪問。素晴らしい施設でした。
訪れた日はちょうど「セルフタイマー ギャラリー(植村直己が撮影した単独冒険の記録」という企画展の最終日。「ナオミ トコナラヤカイ」、植村直己はここに生きていると感じます。
なお、板橋区は旧加賀前田藩の下屋敷があった関係で故郷の金沢市とは友好姉妹都市の関係で冒険館がある場所も加賀公園。また区内には金沢小学校や金沢自治会などもありますね。

身代神社


2023.09.24

佐々木ぶどう園さんとの出会い

旅の醍醐味にはその土地との出会いの他に、人とのふれあいがあります。これまでも道の駅や直売所で地元の方々や旅の人との様々な一期一会がありました。
今回は道の駅はなの里・いいじまでの農産物直売所に納品にきていた農家のおばちゃんとの縁です。
道の駅の前の休憩所で朝ごはんをとりながら直売所の開店時間を待つ間、次から次へと納品のための軽四が乗りつけます。葡萄、リンゴ、梨、栗など季節の果物や野菜が往来。
そんな中でひょんなことから話し込んだおばちゃんが、佐々木ぶどう園(長野県上伊那郡中川村片桐)さんでした。
シャインマスカットを納品にこられてましたが、最初はご当地のリンゴのことから話が弾みました。営業にも熱心で是非自分の農園の果物を一度たべてほしいと。旅から帰りそれではとお願いしたのが佐々木ぶどう園さんの「藤稔(ふじみのり)」と「安芸クイーン」。
果皮が紫黒色の「藤稔」は神奈川県生まれの品種で「井川682」と「ピオーネ」をかけ合わせた甘みと酸味のバランスよい、果汁が豊富な大粒の葡萄です(品種登録は1985年)。
同じく果汁が豊富な「安芸クイーン」ですが、巨峰を親とし1993年に品種登録された、やはり大粒の新種で酸味はやや控え目の葡萄。
「藤稔(ふじみのり)」と「安芸クイーン」、ともに最高の出来栄えを佐々木ぶどう園さんから届けて頂きました。種なしで食べやすく皮ごといただいております。
果物のある生活ってし・あ・わ・せ、ですね。


2023.09.18

東小学校(埼玉県宮代町)

昭和8年に分校として開校し昭和33年から現校名の白い木造校舎が特徴の「笑顔であいさつ日本一!」を合言葉としている小学校です。
現在も特別教室として使われる木造校舎は、昭和30年、川島分教場の時代に建てられたものです。

2023.09.16

身代神社と姫宮神社

身代神社

姫宮神社

昭和30年に須賀村と百閒村が合併し宮代町が誕生した際に、それぞれの村の鎮守の名前から一字ずつ取って「宮代町」としたといいます。
身代神社(このしろ神社)は荒れていましたが、社殿建て替え準備中のようでした。創建は鎌倉時代の1242年。
一方桓武天皇の孫の宮目姫の悲話が伝わる当社の本殿は1715年と伝わります。

身代神社の狛犬

姫宮神社の狛犬

身代神社

姫宮神社

姫宮神社の狛犬

姫宮神社の狛犬

姫宮神社


2023.09.15

空間に恋してー進修館

中庭は映画会、式典など野外活動の場となるようです。

笠原小学校同様に宮代町で象設計集団による著名な建築といえば「進修館」です。
「議会は円卓でやる。皆の顔がみえてよい。」を形として象設計集団が表象したのが、村の寺小屋だった「進修館」の名をつないだコミュニティセンター。
町議会はむろん、大ホールや小ホールを備え、各行政機関・委員会、町民のサークル活動などの場としての空間で「空間に恋して LOVE WITH LOCUS 象設計集団のいろはカルタ」では、屋敷林と表現されています。
宮代町の特産品でもある葡萄があちこちで使われています。
進修館についてはこちらに詳細情報があります。

大ホール前の光路は、富士山と筑波山を結ぶ軸だそうです。

小ホール前の光路は、南北を結ぶ軸となっているそうです。

背もたれ付きのイスには、「ロミオ」と「ジュリエット」、また、背もたれなしのイスには、「いざなぎ」、「いざなみ」と、それぞれに名称があるといいます。

床に葡萄のほか、扉の取っ手などにも当地自慢の農産物が表象されています。


2023.09.13

空間に恋してー笠原小学校

昨年訪れた名護市役所に魅せられて興味を抱いた(株)象設計集団。
この会社の33年及ぶ全容を記した「空間に恋して LOVE WITH LOCUS 象設計集団のいろはカルタ」(2004年、工作舎)を手に、埼玉県宮代町の町立笠原小学校を尋ねてきました。
竣工は1982年、前年竣工の名護市役所とどこはかとなく雰囲気が似ていますね。
外観から「竜宮城のよう」と言われることもあるという同校には、全国から建築関係の方が見学に訪れるといいますが、今時の学校というのはなかなか部外者は事前連絡予約なしには入れませんが外からの写真です。
「場づくりは人づくり」というだけに同校の教育方針にも「はだし教育」など特徴があります。
同校を含め宮代町には小中一貫の須賀小学校、同学年同士でなく異なる学年年齢との集会、清掃、遊び、給食、遠足等の異年齢縦割りグループ活動を実践する百間小学校、木造建築やイチョウが特徴の東小学校など、子どもたちが誇りに思える小学校が4つあり、ここで詳しく紹介もされています。


2023.09.11

厄除け おみくじせんべい

山寺界隈のお土産屋で購入しました。
製造所は新潟県三条市の小林製菓所さんです。小林製菓所さんは各方面向けにおみくじせんべいを作っているようです。
シンプルな美味しさが特徴ですが、さておみくじの結果は、、、?大吉!ええことかいてあります。


2023.09.10

ゑがほ食堂の味噌田楽

今回の鳴子の旅では義経ゆかりの湯「姥の湯」さんの自炊部のお世話になりましたが、夕食はお祭り見物を優先し、自炊でなく「ゑがほ食堂」でとしました。
鳴子中心部にあり鳴子踊りパレードの目の前です。さすがに混んでいましたが、味噌田楽やとろろいも蕎麦と美味しく、まさに「ゑがほ」となりました。


2023.08.21

旧万世橋駅

秋葉原徘徊のついでに久々に「mAAch ecute(マーチ エキュート)神田万世橋」に立ち寄ってきました。
目的は旧万世橋駅(1912年、明治45年開業、1943年、昭和18年駅休止)のホーム部分が「2013プラットホーム」として整備され、デッキとして蘇っているそうなので、これを見学してくることでした。
もともと当地には交通博物館(2006年5月閉館)があり、子供たちと訪れていた場所です。
交通博物館の後を継いださいたま市の鉄道博物館は名前の通り、鉄道の博物館となったため、交通博物館当時のような自動車や航空機、自転車の展示がないのが残念です。
旧交通博物館では高校時代のあこがれであったブリヂストンのロードマン(ROADMAN、1974年発売)が展示されていたのを大変嬉しく思ったものです。

2023.08.09

気仙沼市復興祈念公園

 
今回の気仙沼への旅は一泊のみとなりましたが、充実した旅となりました。
湾内のクルージングを終えて向かった先は、津波火災等で壊滅的な被害を受けた地区を眼下に望む、「気仙沼市復興祈念公園」(2021年3月開園)。
湾内から遠くまで気仙沼を眺望できる祈念の場所です。

2012年1月

2023年7月

(下左写真)気仙沼市の市街地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」は2013年に解体されました。
(下右写真)森進一さんの「港町ブルース」歌碑(2022年に再建されましたが今回は訪れることができませんでした)。
(2012年1月撮影)

2023.08.05

「今日、あの海辺の街に出会う」

(気仙沼市移住GUIDE BOOK、気仙沼市移住・定住支援センターMINATO発行)
裏表紙には「この本には、実際の気仙沼市を舞台にした小説が書かれています。人生の岐路に立った一人の女性が、見知らぬ街との出会いを通して自分の思いに触れていく様子を描きました。 この本を開いたみなさんが、自分らしい選択に出会うことを祈って。」とあります。
「自分らしい選択」とはおっさんにはよくわかりませんが、とにかく読み終えたらまた気仙沼に行きたくなりましたね。えべっさんにも会いたいし、きっと会えるよね。
ちなみにえべっさんは市営住宅には空きがあるといってたし、友の湯の2階も貸し部屋になっていたし、シェアハウスも色々あるようで、ちょっくらゆるりと気仙沼で暮らしてみたくもなりますね。(気仙沼市移住GUIDE BOOKにも最大2か月限定ながら月1万5千円のお試し暮らしの住宅の案内がありました)

2023.08.02

気仙沼・浮見堂にえべっさん現る?

311前に一度、その後2度ほど訪れている気仙沼ですが久しぶりです。
これまでの訪問の中で気になっていた場所が神明崎と浮見堂です。
いつも湾内から眺めるだけでしたが、今回は何かに誘われるかのうように辿り着きました。
全国的に平年を上回る猛暑の中、ここ気仙沼でも陽ざしが強く暑さの中での散策です。
しかしどういうことでしょう?神明崎公園から先端の浮見堂までは風がなくむっとした中を進みましたが、浮見堂に着くやいなや心地よい涼風が吹いています。
更に進めばやはり風はなく、どうやらこの浮見堂のみに届く風のようでした。
そしてこの浮見堂には避暑のためでしょうか?地元のおじさんが一人佇んでいます。
少し会話をかわし、海苔養殖の先駆者である猪狩新兵衛を祀った猪狩神社や五十鈴神社を参拝し、再び浮見堂に戻りました。やはり心地よい涼風を浴びながら、まだおじさんがいたので会話を楽しみます。
そしておじさんともお別れとなりましたが、ここまではよくある話だと思います。

2代目恵比寿様

3代目恵比寿様と猪狩神社

五十鈴神社

実はこの浮見堂にはすぐそばに311以降、遊歩道ともに再建された恵比寿像(三代目でカツオを釣りあげているお姿です)がありますが、2代目(1988年建立、鯛を釣りあげているお姿)は震災時に行方不明となり、その後発見され現在は猪狩神社のおそばに立ちます。
ちなみに初代は1932年に建立さるものの、太平洋戦争による金属回収のため供出。
つまり何を言いたいのかと申しますと、あの地元とおぼしきおじさんは、本当はこの現実社会に現れた恵比寿さんではないか?ということです。
会話の雰囲気や飾らずどこか、この海と暮らしてきたあからびた顔の表情からは、まさに像ではなく人の姿を借りてこの浮見堂に佇む恵比寿様ではなかったかと、、、、。
2代目、3代目の恵比寿像、涼風と共にこの世におわしめられたえべっさんとの出会い、今回の気仙沼も素晴らしい旅となったことに感謝です。
えべっさんと佇む師匠の顔も恵比寿顔ですね。

城廻りの師匠とえべっさん

2023.07.30

「雀返し」という屋根

 

ゴールデンタイム(ファーマーズガーデンやまがた)」でも紹介させていただきました松本市波田の「味工房はた」。いつもここで気になっていたのがウォーキングイベントのチラシでした。
この食いしん坊羨望のウォーキングイベント「波田恋人の丘☆夏期ウォーキング」(ゴールして名産のスイカ食べ放題!)に参加という夢?が叶いました。
野麦街道コース(6.6km)と若澤寺コース(8.8km)が選べますが後者を選択。まずは果物畑を進み、やがて波田の町中に。同行のガイドさんから道祖神や石碑、神社仏閣について丁寧な説明をいただきます。
ただ私が一番興味を持ったのは、民家の屋根の特徴でした。初めて見る形状にウォーキングイベントのスタッフに早速尋ねてみますと「雀返し」や「雀おどし」と教えていただきました。
帰宅して調べる中でもウォーキングイベント同様に波田商工会さんのお世話になりました。
長野県下の特徴的な棟飾りになるのでしょうか。

【日本の屋根】(叢文社 、1982年9月発行、文・伊藤ていじ、写真・高井潔)にも板屋根のところで塩尻市の堀内家の雀おどしが紹介されています(p107)。

2023.07.29

いろいろと楽しませていただきました「かんてんパパガーデン」

この森の中を散策すると伊那食品工業さんの経営の目指しているものがはっきり見えますね。上場企業ではありませんが株式でなく同社の製品を購入することで応援したくなります。

かんてんパパミュージアム「野村陽子植物細密画館」
野村陽子先生はmonterinaなどでワークショップ(絵画教室)を開いたりもしています。
「そば処 栃の木」
行列ができていたため今回は見送りました。
「水汲み場」
かんてんぱぱガーデン内には2か所の水汲み場があるようですが、いくつものペットボトルや大きなポリタンクを携えた車がひっきりなしに水を求めて来ていました。冷たくて美味しい地下水でペットボトルに一本頂いてきました。

2023.07.28

寒天レストラン「さつき亭」

3月に「monterina」を訪れた際は、あまり時間がとれずでしたが、今回はゆっくりと伊那食品工業さんの本社・工場周辺の庭園「かんてんぱぱガーデン」を散策してみました(3万坪あるそうですね)。

そしてランチタイムですが施設内にはそば処やレストラン、カフェがあり、どこでと悩ませてくれます。
せっかくのかんてんパパですから寒天を活かしたお料理をと「さつき亭」に入りました。森の中に佇む静かなレストランで、レストランの中でも外のテラスでも食事が楽しめます。とまと寒天サラダ麺で夏の日の休日の昼食とさせていただきました。

2023.07.27

monterinaの焼き芋シェイク

monterinaとは、フランス語の「montagne」やイタリア語の「monte」(共に「山」の意味)と伊那の「ina」をかけ合わせ生まれた名称だそうですが、地元信州のほか日本各地から厳選された食いしん坊を唸らせる名品、そして伊那谷の野菜や果物が販売されています。
加えて今回は、施設内のカフェ&ベーカリーでのんびりすることを目的にやってきました。
午前中は文字通りゆっくり過ごせます。季節のジェラートやスイーツ、サンドイッチなどの中から焼き芋シェイクを選びました。

2023.06.18

地図と測量の科学館(つくば市)

中学生1年生の時、友人の親父に連れられ3人で大倉岳(石川県小松市)へ登ったのが、登山人生のスタートだったと思います。
以来、白山をはじめとする県内の山々から国内、海外へとその範囲は広がっていきましたが、たえずその山旅のお供をしてくれたのが地図。
とりわけ国土地理院の地形図は一番馴染みのある地図で、大きな本屋にある地形図コーナーを訪ねることはわくわくするひと時でもありました。
そんな昔から最も利用していた地図を発行する国土地理院(現国土交通省)の「地図と測量の科学館」(つくば市)へ城巡りの師匠とうかがってきました。いやーたいへん楽しめ、わくわく感満載の施設でした。

【左写真】国土地理院の前身、参謀本部陸地測量部と山岳会との剱岳を巡る登頂競争を描いた映画も印象に残る作品でしたが、ここに剱岳で見つかった錫杖と鉄剣のレプリカが展示されていました。
【右写真】日本地図といえば伊能忠敬ですね。

【左写真】売店には日本百名山のピンバッチすべてが販売されています。
【右写真】中学生の時に使っていた2万5千分の1地形図(昭和46年、1971年11月発行の2色刷り)。

2023.05.14

尾小屋つながり

4月のはじめ、弟と故郷石川県小松市の尾小屋鉱山資料館を訪ねてきましたが、今回、城廻の師匠と茨城県日立市の日立鉱山・日鉱記念館を訪問。
駐車場から本館受付に向かう通路脇になんと!「尾小屋鉱山銅製錬鍰(からみ)」なる六角柱の短い柱のようなものが並べられていました。
「鍰(からみ)」とは「銅を製錬する際に出た、不純物、この副産物である鉱滓(こうさい、スラグ)のことだそうで、これらを成形した六角形(亀甲からみ)は尾小屋独自の形状だそうです。
動画の中でも鉱山資料館からマインロードの途中にある「グリーンプロミナード尾小屋」の看板の周辺にこの亀甲からみを使った石垣が沢山見られました。
ちなみに尾小屋鉱山は1931年(昭和6年)に日本鉱業の傘下となり、日立鉱山は1929年(昭和4年)に日本産業から鉱山及び関連部門を分離設立された日本鉱業の主力鉱山。


2023.05.05

常総市でセイコーマートに遭遇

この5月の大型連休は友人と北海道車中泊の旅を随分前から楽しみにしていたのですが、やもえない事情により断念。
かといって自宅軟禁も滅入ってくるので、久々の益子陶器市に出向いてきました。
道中、買い物と休憩がてらに立ち寄った常総市で、なんとセイコーマートさんに遭遇。思わず車が北海道へワープしてしまったかのような錯覚に陥りました。
調べてみるとなんでもこの茨城には1988年から出店しているそうです。(現在84店舗)
訪れたのは常総新石下店で近くの豊田城も見えます。


2023.04.17

尾添「開成社」

時に人はおもいもがけぬ出会いをすることがあります。
例年1月下旬は、千葉の海へ昆布養殖の種糸付け作業に出向いていますが、同じく毎年ボランティアで参加していただいているMさんに今回、私の同僚として初めて種糸作業を手伝ってくれた先輩を、「白山室堂で一緒に働いていた先輩です」と紹介したところ、自分の祖父は白山麓の尾添で天災後の救済と復興や白山登山新道に尽力した松本源祐だといいます。
「おぞ(尾添)」という地名に、私の記憶も一瞬戸惑いましたが、岩間道や中宮道、そして笈ヶ岳へのアプローチと若い頃によく訪れていた地です。
今回帰省に際しその松本源祐が祀られている「開成社」を参拝してきました。
松本源祐の功績については白山自然保護センターの「はくさん」第16巻3号にも詳しく紹介されています。

2023.04.16

瀬越白山神社

旧瀬越小学校から瀬越橋を散策し白山神社へ向かいました。
鳥居は広海二三郎が明治26年9月吉祥建立、とあります。
明治22年には小樽に広海倉庫を建て、明治29年には日本海上保険を設立し社長につくなど二三郎全盛の頃ですね。


広海汽舩の乗組員一同の名が見られる石灯籠横の石碑(右)
九重山広海硫黄鉱従業者一同とある石灯籠(左)
広海二三郎は1896年(明治29年)に鉱業に参入し、同年大分の「九重鉱山」の採掘権を取得しています。1916年には広海二三郎は天然硫黄王と呼ばれるようになったそうです。

▼大聖寺川横の大家七平家住宅(非公開)
四代目七平は、広海二三郎の弟(四代目広海二三郎の息子)で明治19年大家家を継ぎ、四代目を襲名。
明治29年には政府の要請でウラジオストク航路を初めて開き(明治36年「大家商船合資会社」を設立)、日露戦争には所有の汽船を提供するなど貢献。
大正10年(1921)には「大家商事株式会社」を設立しています。
広海二三郎同様鉱業にも進出したり、大阪瓦斯社長、大阪商工協会名誉会員などを務めた名士です。
小樽市指定歴史的建造物第1号となった旧大家倉庫(明治24年、1891年)も有名ですね。

2023.04.14

旧瀬越小学校

昨年7月以来久々の帰省となりました。
今回の帰省の目的は山仲間の小さな集まりに加え、尾小屋、瀬越、足羽山を訪ねたい思いを実行することにありました。
瀬越は加賀にある「北前船のふる里」の一つで、加賀4大船主の二人(広海、大家)を輩出しています。
その広海、大家の両家が寄贈し建てられた旧瀬越小学校(昭和5年・1930年~昭和42年・1967年、現・竹の浦館)を訪ねました。
ここには2014年5月に『日本縦断こころ旅』で火野正平さんも訪れているそうです。

▼二宮金次郎像   昭和10年10月、大家七兵衛建立
▼昭和4年1月、広海二三郎建立の石碑
昭和4年1月は広海二三郎が亡 くなった年月ですね。

2023.04.13

笏谷神社と七つ尾口採掘場

足羽神社から次ぎに笏谷神社を目指しました。
福井県神社庁のサイトによれば「御神体は、足羽山上の継体天皇御神像を笏谷石で彫刻し安置して区民の氏神とした」とあります。
継体天皇が手にする笏で足羽山の西方の谷を指して、採掘を奨励したと伝えられる「越前青石」。この地は「笏谷」と呼ばれ、その石の名が「笏谷石」となります。
この神社の周辺から採出された「笏谷石」は、足羽川を通じ日本海まで運ばれ、北前船で全国に広まったそうです。
神社近くにはる笏谷石採掘場の七ツ尾口があります。内部は見られませんでしたがこちらのサイトに詳細がありました。一本義さんの酒造庫としても使われていますね。

2023.04.12

足羽神社の石守り

江差をはじめ、昨年の北海道の北前船の寄港地を巡る旅で、印象に残ったのが北前船が運んできた笏谷石(しゃくだにいし)でした。
神社の狛犬や建物の基礎石の束石(つかいし)としても使われていたことを知り、その狛犬が「越前狛犬」と呼ばれたように、石の産地が福井市足羽山(あすわやま)で産出された「笏谷石」ということで、今回その「釈谷石」「ふくいブルー」の足羽山を訪ねて来ました。
まずは足羽神社です。継体天皇を御祭神とし、越前祖神と称されます。
鳥居をはじめまさに笏谷石ワールドでした。
笏谷石の石守りという珍しいお守りもありがたいです。

2023.04.06

ほっとするね いっぷくの ちいさな しあわせ

お茶の郷・木谷山、宇治田原町の木谷製茶場さんの「味あわせ」が表題の如く、その美味しさにほっとします。
雁が音(茎茶や棒茶、白折などといった呼び方も)と玉露粉を二対一でブレンドした緑茶で、贈答品でない限り、高級なお茶にはなかなか手が出ませんが、この手頃な価格にも「ちいさな しあわせ」を感じます。

2023.03.27

萩日吉神社の狛猿と児持杉

狛犬ならぬお猿様がお迎えてくれます。
子供を抱く吽形(左側)と桃を食べる阿形(右側)の猿には戌年の小生でも表情が和らぎます。
面積の約7割を山林が占めるという「木のくに」埼玉県ときがわ町は「巨木の里」として知られ、今回はこの萩日吉神社の鳥居の横にそびえ立つ児持杉(樹齢推定八百年)を師匠と訪れました。児持杉は男杉と女杉からなり、子授けのご利益で知られます。
毎年1月第3日曜日の例大祭では、ときがわ町にある白楊(どろのき)の木を使った神猿の人形がいただけるそうです。

鳥居と児持杉

児持杉

萩日吉神社の神楽殿

2023.03.21

正法寺の大銀杏と箭弓稲荷神社

東松山の正法寺から箭弓(やきゅう)稲荷神社に向かうみちすがら、灰田勝彦の「野球小僧に逢ったかい♪♪♪」を口ずさむと、師匠から「よくそんな古い歌知ってるねー」とのお言葉を。
はい、この歌(昭和26年、佐伯孝夫・作曲、 佐々木俊一・作詞、日本ビクター)、特に今では「野球小僧は ウデ自慢 凄いピッチャーで バッターで」の歌詞が大谷翔平を彷彿とさせますね。
そうこうするうちに箭弓稲荷神社へ。このWBCの影響でヌートバー選手のお母さんの出身地、埼玉県東松山市が大変盛り上がっており、その東松山にあるその名も「やきゅう神社」への参拝者が増えていると聞きました。
たしかに絵馬にはボールやバット、バッターの絵のものも散見されるほか、侍ジャパンの必勝を祈願したものも観られました。
さて正法寺の大銀杏ですが、やはり銀杏は銀杏の葉が色づいている頃にまた訪ねてみたいものです。また、ここと源頼朝や鎌倉との関係が面白く、この関係でも再訪有りです。
岩殿観音正法寺さんサイトが勉強になります。

岩殿観音として親しまれている正法寺の大銀杏、樹齢は700年を超えると推定されていますが、やはり銀杏は黄葉がいっぱいの時期がいいですね。

2023.02.17

早咲き桜の土肥桜

これまで伊豆の河津さくらを早咲き桜の代表のように思っていましたが、今回の旅で西伊豆の土肥(とい)の土肥桜を知りました。
濃いピンク色の華やかな桜は、まだ河津さくらがぼちぼち咲こうかといった頃には既に見頃を迎えていました。

2023.02.13

水仙に迎えられ爪木崎を歩いてきました

爪木島の向こうに利島がよく見えます。利島と新島の間は三宅島でしょうか。水仙まつりは1月末まででしたがまだまだ咲いています。
素晴らしい遊歩道が続いていました。

現存する日本最古の洋式石造灯台の神子元島(みこもとじま)燈台(1871年、明治3年)もばっちし見えました。


2023.02.11

戸田造船郷土資料博物館

日本で初めて造られた洋式帆船「ヘダ号」のことを知ったのは、2015年に読んだ「銭屋五兵衛と冒険者たち」(集英社文庫、童門 冬二・著、2005年12月発行)の中でした。
以来、その歴史が学べる同博物館を訪れる機会をうかがっていましたがこの度ようやく実現となりました。
1854年11月、ニコライ一世の命を受けたロシア使節(全権使節)エフィム・プチャーチンはディアナ号で下田に入港。
しかし安政の大地震に見舞われディアナ号が破損。修復へと戸田に向かうも結局ディアナ号は沈没。そのディアナ号の代船として日本の船大工が結集しロシア人と共にわずか3か月ほどで、日本初の洋式帆船「ヘダ号」を作り、このことが日本のその後の近代造船の始まりになったといいます。
安政の大地震に際し自らの被害もありながら、プチャーチン一行は、波にさらわれた日本人を救助し、船医が看護したともいいます。また一方でデァイナ号が沈んだ際には周囲の村人たちがロシア人乗船員たち500余名を救助したそうです。まさに友愛の絆です。
プチャーチンは後年、日露修好通商条約の締結(1858年)にも来日していますが、日本とロシアの友好の礎がこの「ヘダ号」にあったといえます。

プチャーチンには1881年(明治14年)、日露友好に貢献した功績により日本政府から勲一等旭日章が贈られています。
当博物館の前にある「日ソ友愛の像」の石碑には、
「海は世界をつなぐ、友愛のきずなである。孤立した島から、大陸から人はこのきずなによって結ばれ それぞれの文化を高め文明を築いて生きた 幕末の頃 プチャーチン提督の乗艦ディアナ号が遭難するや戸田の人々はこれを助け露国人と共に協力して代艦戸田号を建造した。
友愛の灯はこの時 あかあか と二つの国を映したのだ 爾来幾星霜世相はどのように変ろうとも二つの国の人々の心の奥底に友愛の灯は決して消え失せることはないであろう
 村長 山田三郎 謹書」
とあります。
1969年、この博物館の建設にあたり当時のトロヤノフスキー在日ソビエト連邦大使は、直接戸田を訪れソビエト連邦政府からの500万円を戸田に寄付しています。
「こんな時代もあーったのね」では済ませられませんね。
プーチンの蛮行によって両国の友愛の灯を絶やしてはならないと思います。

ちなみに軍艦9隻を率いながら江戸湾へ入港し、幕府を威圧しながら日米和親条約(神奈川条約、1854年)の締結に持ち込んだペリーに対し、プチャーチンの外交姿勢はシーボルトの進言もあり紳士的なアプローチだったといいます。教科書にものり誰もが知るペリーに対し、もっとプチャーチンに光が当たるべきだとも思います。


2023.01.26

ラヂオ体操

一日のスタートを調える日課として基本的に毎朝ラジオ体操をしています。
旅先のホテルや公園でもできる限りです。
一方で近所の公園などでは学童による夏休みのラジオ体操はまったく見かけなくなってしまいました。
コロナの影響もあるかと思いますが寂しい限りです。
このポスターは昭和の町・豊後高田に貼られていたものですがラジオ体操を昭和の遺物としてしまうのは悲しいものですね。
 
徳島の天神社で出会ったラジオ体操像


2023.01.23

ジャパンレッドの吹屋を訪ねる

前々から訪ねてみたかった赤い瓦とベンガラ格子の家々が連なる「ジャパンレッド」の町、岡山県高梁市成羽町の吹矢地区を年末に訪ねて来ました。
 
国内有数の弁柄と銅(あかがね)の産地として栄えた吹屋には、明治のころ、瀬戸内海の笠岡や西浜から人足で魚を運んだ「とと道」がつながり、この古道の終点としてもいつかは歩いてみたいと思います。


2023.01.21

ここだったんだチロルチョコ

行き当たりばっ旅の面白さの一つ、それは想定外の出会いですね。
大宰府を目指し国道201号を走っていると「チロルチョコ」の大きな看板が目に入りました。
ここで通り過ごしてしまえばそれでおしまいですが、食いしん坊の直観がピーンときて、もしやあのチロルチョコの本社か工場?との連想が働き急遽訪問。工場見学は叶いませんでしたが近くにアウトレットショップがあるとのことでさっそくです。
嬉しい突然の出会いとでもいうのでしょうか?


チロルチョコを製造する松尾製菓株式会社さん(明治36年から現田川市で菓子製造、チロルチョコ部門は昭和37年から))


2023.01.12

豊前海の魚介類に魅せられて

福岡県の東部沿岸から大分県の北部沿岸の周防灘南部海域で沿岸部は遠浅で日本三大干潟の一つという(残る2つは、有明海、八代海)。
地魚の宝庫であるこの海域の海産物を取り扱う「自由市場」(豊前市大字千束16-1)に「大きな机」からのついでに年末立ち寄ってきました。
もちろん自由市場には魚介類以外もたくさん販売されています。


ハモ(ハム)、主に底びき網で獲るそうです

ベタ  高級魚の舌平目のことだそうです。
オオスダレ貝 産地以外の市場ではまずおめにかかれないとか?
赤ナマコのほうがナマコより少したかいのですね

2023.01.12

旅人をねんごろにせよ

高等温泉で今回の九州旅のスタートを切ったあとは別府駅前を散策してみました。
迎えてくれたのはオジサンが万歳をしているような妙なブロンズ像です。
別府観光の父と呼ばれた油屋熊八(1863~1935)の銅像で、「旅人をねんごろにせよ」とは、熊八が単身アメリカへ渡航中に出会った日系人牧師から教えられたという新約聖書に書かれた一説からで、熊八の別府での旅館業の基本的精神となった言葉だそうです。
いい言葉ですね。
すでに駅前高等温泉や阿蘇りんどう牛乳で「懇ろ(ねんごろ)」にされたと痛感していた小生には身に染みる言葉です。

2023.01.09

大阪から船に乗って 別府に着いた~♪

憧れの船旅が実現しました。「さんふらわあ」で大阪南港から別府の、瀬戸内海の旅です。
夜の出港、朝の入港ですから、夜の瀬戸内海や夜景は明石大橋まであたりでした(走ってもくぐっても素晴らしい橋です)。
船内では大浴場も楽しみしにていましたので、風呂上がりにパブリックスペース(展望デッキ)で飲むビールは最高でした。もちろん貧乏旅行ですので夕食のお弁当やビール、つまみは南港近くのスーパーで調達しています。こちらで船が著名な橋をくぐる予定時間がわかります


大阪南港で出港を待つあいぼり

大阪南港のターミナル受付

まもなく明石大橋をくぐります

明石大橋

2023.01.08

大和三山を眺め深呼吸するって最高!

奈良では一番好きな場所かもしれません。明日香村もお気に入りなんですが、とりわけこの甘樫丘を散策することが好きです。
大体は朝の清々しい時間に歩き、展望台から畝傍山、耳成山、天香山と眺め悠久の昔から変わらぬであろう、この風景に喜びを覚えます。いつ来ても何度来ても、飽きることのないとっておきの場所です。


2023.01.07

岡崎の八丁味噌2社を応援します

2017年、地域ブランドの特性を活かそうという趣意で始まった「地理的表示保護制度」(略称:GI)。
しかしこのGI登録をめぐって「八丁味噌」に関しては、どうも合点がいかず、応援したい気持ちもあり岡崎の2社を年末に訪ねて来ました。
「八丁味噌」について、2017年12月、農水省は愛知県下全域の業者に対しGIの登録を認可。しかし岡崎の2社はこれに異を唱え、登録は無効にすべきとして、2018年3月に行政不服審査法に基づく審査を申し立てました。
この岡崎の2社は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」には非加盟でもあり、そもそも岡崎の2社以外の会社が八丁味噌を名乗ることに反発しており、小生も同感であります。
このままでは本家が元々の製品名を名乗れない状況にもなりかねず、何やら中国で起こった「無印良品」のケースに似た状況を危惧しています。
岡崎市八帖町の 「株式会社まるや八丁味噌」と「合資会社八丁味噌」(「カクキュー」ブランドを展開)さんの2社を消費者としても応援したいところです。


昭和20年代の観光ポスター

カクキューさんの食事処でいただいた八丁味噌を使った味噌カツ定食。さすがです。
この味噌カツ定食に出された赤だしが美味かったので、売店ではこの赤だしを購入。
「やはぎばし」は愛知県岡崎市にある矢作橋。
自宅でもおにぎりとこの八丁味噌の赤だしでランチとしてみました。
 

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2024.1.7
柚子の甘露煮
 


2023.11.24
柿もなか
 





2023.10.3
HUMP ROAST BEANS
 









2023.8.21
旧万世橋駅
 












 
2023.4.16
瀬越白山神社

 
2023.4.14
旧瀬越小学校









2023.1.26
ラヂオ体操
 





 
2023.1.9

大阪から船に乗って 別府に着いた~♪