2023.03.11

ゴールデンカムイと北海道産亜麻仁油

当ブログで斧のシャフトに塗布するために購入した亜麻仁油を紹介していますが、弟子1号と読み合わせをしている「ゴールデンカムイ」の第9巻になんと亜麻仁油のことが取り上げられていました。
脱獄王の白石由竹が贋作師(贋札犯)の熊岸長庵と共に樺戸集治監(のちの樺戸監獄)から脱獄する策として、合い鍵を便せんに使う和紙とご飯粒を練り合わせて作るその強度補強材として亜麻仁油を使うという場面です。
熊岸の台詞には「乾性脂といって空気に触れると固まるんです。油絵の具とかにも使ったりしますね。」ともあります。亜麻仁油は監獄で自給自足のために味噌や醤油など様々なものを囚人の内役として製造しており、亜麻仁油もそのうちの一つとの補足もありました。
樺戸集治監については集治監があった月形町公式サイトに詳しく紹介されていました。
ちなみに月形町(当時は月形村)の名前は初代典獄(監獄長)月形潔の名を取ったものだそうです。
そこで調べてみました。北海道で亜麻仁油?です。
どうやら日本では北海道において、明治から昭和初期にかけて、食用や塗料・リネン繊維など用に広く亜麻が生産されていたようです。
では現在は?ですが北海道産の亜麻仁油がやはり販売されていますね。さっそく取り寄せてみました。
昭和40年代には一時北海道からその生産が姿を消した亜麻ですが、現在は月形町や当別町、新十津川町ほかで亜麻仁が生産されています。
北海道と亜麻の生産の歴史については亜麻公社(当別町)のサイトに詳しく紹介されています。
北海道での亜麻の生産の目的が軍需用の採繊であったこと(戦争特需)。お抱え外国人・トーマス・アンチセルの提言を受け、北海道での亜麻仁生産を導入推進したのが榎本武揚であったことなど興味が尽きません。
なおトーマス・アンチセルは道内調査時に現在の岩内町で野生ホップを発見。これが日本のビールのルーツは岩内町にある所以だそうで、この発見1871(イワナイ)年から5年後に札幌で開拓使麦酒醸造所(現サッポロビール)が開業したそうです。
時間があれば月形樺戸博物館や岩内町郷土館を次回の北海道の旅に組み入れてみたいものです。
購入した道産亜麻仁油はOMEGAファーマーズ(士別市武徳町)さんで、旧武徳小学校跡地の体育館を活かした搾油・精製プラントで作られているそうです。
シャフト塗布用にはもったいないので今回はすべて食品用にします。

2023.03.07

津山 美しい建築の街(山陽新聞社、2022年)

美作の中心地「津山」は山の先輩の故郷です。
また有吉佐和子の「出雲の阿国」を読み、阿国の情夫といわれた戦国武将・名古屋(那古野) 山三郎の終焉の地であったことや、映画「男はつらいよ」の最終作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(第48作、1995年)のロケ地であったことで、惹かれていた地です。
その山の先輩が時折送ってくれる荷物の中に山陽新聞があり、その新聞に掲載されていた広告で本書のことを知りました。
本書の冒頭に、著者の従兄弟であるB'zの稲葉浩志さんが「東中に入学してできた最初の友達が滝尾に住んでいてこの美作滝尾駅で待ち合わせした」と寄せていましたが、その美作滝尾駅は2018年5月に訪れ当ブログにも紹介しています。
おなじく本書にも紹介されている津山まなび鉄道館もその際に訪問。
初めて津山を訪れたのが2014年の1月ですが、まだまだ本書を見ていると知らない魅力的な「津山」がたくさん紹介されていますね。

2023.02.20

今こそ教育現場へ「はだしのゲン」を!

全国の図書館から「はだしのゲン」が消えつつあることは数年前から危惧しておりましたが、とうとう広島で、これですか?被爆者は、市民は怒らないのでしょうか?
先日、ニュースで「広島市教育委員会は2023年度に市立の全小中学、高校の平和教育プログラムを初めて見直し、小学3年向けの新教材では、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を削除し別の被爆者の体験を扱った内容に差し替える。」と伝えられましたが、
私のような感想を抱いた人は少なからずあったと思います。
「はだしのゲン」の削除の理由として「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」「漫画の一部を教材としているため、被爆の実態に迫りにくい」などとされていましたが、???です。
歴史から学ぶということは、学んでいる現代との生活実態と乖離があるのは当たり前です。
また誤解を生むという個人の思考の差異こそ教育の出番ではないでしょうか?どうも教育とは簡単安直に一つのことを教えるものと教育委員会は誤認していませんでしょうか?時間が足りないなどと教育と経済生産性論理を一緒にしてはいませんか?「補助的に説明する時間がない」などという論理こそ教育者失格と思います。
「はだしのゲン」の表紙裏に「原爆を主題にした漫画を描くのはしんどいが、子どもらは、素直に何が真実かを見きわめてくれます」との中沢啓治さんの言葉が記載されています。妙な大人の忖度より、まずは子供たちの感性から教育は始まるのではないでしょうか?
「はだしのゲン」を知る者は、今こそ、今の時代にこそ「はだしのゲン」を教育現場にと声高に唱えましょう!

2023.02.16

つげ義春「オンドル小屋」

「伊豆の長八」関連で「長八の宿」が収録されている“つげ義春「旅」作品集・リアリズムの宿」(双葉社ACTIN COMICS 1983年)を、久々に読み返していたところ「オンドル小屋」という作品(1968年4月「ガロ」青林堂)も収録されていました。
そうです。昨年山仲間と訪れた後生掛温泉です。
昨年のこのブログでも紹介した通り、現在の後生掛温泉のオンドル部屋は立派な個室制で、つげ義春作品に描かれていたような蒸ノ湯温泉(ふけの湯)と同じ、自炊のみの共同宿舎形式のオンドル小屋は後生掛や蒸ノ湯近くにある大深温泉のみとなっています(初めて後生掛温泉を訪れた2000年9月にはまだのこっていたのですが)。

2023.02.12

ハンセン病文学の新生面『いのちの芽』の詩人たち

国立ハンセン病資料館(東村山市)に行ってきました。
先に紹介した石井正則さんの「13(サーティーン)ハンセン病療養所からの言葉」の巻末に、国立ハンセン病資料館学芸員の木村哲也さんが「日本のハンセン病政策と療養所の歴史」と題して一文を寄せており、その中でその国立ハンセン病資料館のことを紹介、さっそく訪ねてみました。
なんと嬉しいことに、資料館では石井正則さんの本の中でも取り上げられている詩の出所である「いのちの芽」(大江満雄、1953年三一書房)を含む、「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」という企画展をちょうど開催しており(2023年5月7日まで)、まるで本に導かれるようにの訪問となりました。
木村哲也さん、周防大島文化交流センターの学芸員の経験もあり、宮本常一の著作もあるのですね

白峰の「ばと」

国立ハンセン病資料館が70年ぶりに復刊した幻の詩集『いのちの芽』
同書の解説「おわりに」には木村哲也さんが詩人・大江満雄について紹介文も寄せていました。
ポストカードは常設展鑑賞のアンケートの返礼品でかつて多磨全生園で過ごした中学生たちの版画。


2023.02.10

13(サーティーン)ハンセン病療養所からの言葉

TBSラジオ「荻上チキ・ Session」をよく聞いていますが、 1月下旬「ハンセン病の教訓を俳優・石井正則さんと考える」という特集を聞きました。
石井正則といえばお笑いと俳優とサイクリストのイメージがありましたが
この放送を聞いて、たいへん惹かれました。
TVの自転車番組ほか同じTBSラジオでは、自転車協会 presents ミラクル・サイクル・ライフも時折聞いています。
本書(2020年3月、トランスビュー発行)は「荻上チキ・ Session」で紹介されていた石井正則の写真とハンセン病患者らの詩で構成された本。
石井正則が全国に13ある国立ハンセン病療養所を訪問し、あえてフィルムカメラ(エイトバイテンなど大判カメラ含む)で撮影したものを、言葉(本書の詩)にあわせていったと、番組の中で紹介されていました。
ハンセン病といえば、映画「砂の器」(1974年、松竹、原作・松本清張、監督・野村芳太郎) を観て、強く印象付けられた思いがありますが、「荻上チキ・ Session」を聞き、また本書を手にして改めて心の中に深く重く置き泊められました。
それにしても本書にある、詩の素晴らしいこと。重い詩もありますが、重さの中にも選ばれた言葉に華やかさや鮮やかさがあり、ふとその内容の重さを忘却の彼方に追いやりそうな見事な言葉遣いの詩が散見されます。
ちなみに石井正則もミニベロの愛好者と知ってまた嬉しくなります。
なお、同番組の放送内容は2月9日現在でも「荻上チキ・ Session」で、聞くことが可能でした。

2023.02.8

村上康成美術館

伊豆の同美術館が2月末で閉館と聞いて行ってきました。
ブログやホームページでも紹介しています同氏の絵本は昔からのファンであります。
※ブログ
※ホームページ

▲一番好きな作品と雑誌Be-Palの付録

2023.02.3

今年もヒロシマ平和カレンダー

ここ数年、毎年表題のカレンダーを購入しています。
今年のテーマは広島市立幟町小学校「のぼり平和資料室」の「笑顔を奪った戦争」です。
このカレンダーを手にして思うのは、特にこのヒロシマで生まれも、育ちもしていないくせに、ヒロシマを選挙地盤とする男が「笑顔を奪う戦争」につながる軍備拡張に邁進していることです。まさにブラックジョーク。中国が台湾に侵攻するような有事の際には、日本をその前線基地として活用したい感ありありの米国の思惑に気前よく尻尾を振っているお人よしの姿そのものです。
「思いやり予算」なるものがありますが、本質は「お人よし予算」であることと同じです。
この男にこそこれまでのヒロシマ平和カレンダーを熟視してほしいものです。
いまやこの男のすすめていることは子供たちからだけではなく、大人たちからも笑顔を奪う政策ばかりです。国民はバカなのでしょうか?
いつか来た道を繰り返さないために我々は歴史を学んできたはずです。
希望の見えない社会、国で人は子供を産み育てたいとは思いません。
子供を増やすどころか真逆の政策が続いていることに、国民はノーを突き付けていかねばなりません。
敵基地攻撃能力を配備すれば、仮想敵国である相手はそれ以上の敵基地攻撃能力を配備してくることは容易に想像がつきますよね。
最終的に相手を凌駕するか、あるいは同程度の敵基地攻撃能力の行き着く先は「核武装」であることはアホでもわかる自明の理です。
「国民を守る」といいながら国民を北の大地に置き去りにして逃げ、沖縄や本土各地でも国民を守れなかった歴史を我々は忘れてはなりません。
▶広島平和カレンダー(税込み・送料別途)の注文は
広島平和研究所・広島県教育用品(株)
電話:082-264-1750 mail:kyouikuyouhin@hiro-gakkouseikyou.or.jp
※2022年の広島平和カレンダーを紹介した時のブログ
※2021年の広島平和カレンダーを紹介した時のブログ
 


2023.02.2

北前船と裂織

今回も「北前船 寄港地と交易の物語」から旅を振り返ります。
丹後半島の伊根について、本書では「徐福伝説の伊根町」と紹介しています。はるか東の海上にある蓬莱という神山の不老不死の妙薬を求め、秦の始皇帝の命を受けた徐福達が伊根の新井崎付近に上陸とあります。たしかに伊根には徐福を祀る新井崎神社がありますが、これまでの数度にわたる伊根への旅でも、この神社は完全に見逃していました。これはいずれ行かねばなりません。
一方で浦島太郎を祀る浦嶋(宇良)神社には、2019年暮れ訪れました。本書にも写真入りで紹介されている当神社に奉納された北前船の模型についてもしっかりカメラに収めてきました(冒頭写真)。
また本書には宮津の京都府立丹後郷土資料館についても触れており、北前船関係はむろん、「北前船文化」と言える「裂織」の収蔵が素晴らしい旨を述べています。
江戸時代、大坂から北前船で運ばれた大量の古着木綿の再利用技術が、北前船とともに日本海沿岸に広がったと記されています(裂織の海の道)。
沿岸ではないものの、小生も石川県白峰の裂織「しゃっくりばと」を思い出します(背負子の下に着るチョッキのようなこの裂織を当時は単に「ばと」と呼んでいました)。さっそく白峰の山仲間に問い合わせてみたところ「白峰村史」にこの「シャクリバト」が紹介されていました(桑島では「サックリバト」)。
本書「継体天皇のふるさと」には、三国の裂織の仕事着を「さっくり」と呼ぶとあり(裂織の読み方が転化)ました。


浦嶋神社の案内看板

白峰の「ばと」

2023.02.1

美保関の青い石畳

引き続き「北前船 寄港地と交易の物語」から自分の旅を振り返ります。
「美保関の青い石畳」と紹介されている美保関には2014年の暮れに息子家族と訪れました。
息子が松江に勤務していたころで、毎年の年末年始を松江で過ごし近隣のあちこちへと足を運んだものです。
本書には往時の舗装道路であるこの町並みを貫く青い石畳を、美保関の繁栄の証として紹介していますが、ピーンときました!この青い石こそ福井の「笏谷石(しゃくだにいし)」(福井ブルー)ですね。
当ブログでも上ノ國八幡宮の狛犬が北前船が運んだ笏谷石であることを紹介しましたが、北陸と山陰、北海道と、かつて訪れた場所が偶然にも1つの糸で結ばれることに感嘆します。
今年の旅テーマにはこの福井市足羽山(石谷山)麓で採掘された笏谷石を訪ねる旅をと考えています。
 
写真の左には島根出身の徳川夢声が詠った「しとどなり 青石だたみ 秋の雨」
「しとど」とは「びっしょり」との意とか。


2023.01.31

出雲大社より日御﨑神社を信仰した海の男たち

「北前船 寄港地と交易の物語」備忘録第3弾です。
2010年9月に出雲大社と共に出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める「みさきさん」日御碕(ひのみさき)神社、並びに石造灯台としては日本一の高さを誇る日御碕灯台(1903年、明治36年設置)を訪れました。
本書によれば航路の重要な目印としての日御碕にある日御碕神社を、北前船などの海の男たちは、出雲大社よりも信仰したとあります。
2010年の旅では日御碕から本書にも紹介されている鷺浦を経て、十六島(うっぷるい)湾から雲州平田へ抜けましたが、宇龍や鷺浦は北前船の寄り港として再訪してみたいものです。
2014年の当ブログでは十六島海苔も紹介しています。


2023.01.30

間宮林蔵は隠密だった

‎引き続き「北前船 寄港地と交易の物語」(加藤 貞仁・著、無明舎出版)を読みながらの再発見を記していきます。
間宮林蔵といえば「間宮海峡」や樺太探査で知られる探検家のイメージが強いのですが、本書を読むと石州浜田藩の密貿易を暴いた幕府隠密との記載に出くわしました。
北前船の有力な寄港地であった浜田には何度も訪れていますが、城廻りの師匠と共に浜田城を訪れた2020年11月には、ちょうどこの浜田の回船問屋が軒を連ねた松原浦を訪ね、会津屋(今津屋)八右衛門を称える頌徳碑(冒頭写真)にも立ち寄りました。
藩の廻船御用役の八右衛門は藩の財政を助け地方経済を蘇らせたと称える当地の看板には、藩の勘定方と共に八右衛門を死罪に追いやった(竹島事件)間宮林蔵については触れられていませんでした。
樺太探査を終えた間宮はその後幕府隠密として全国を行脚していたことを初めて知りました。

2023.01.29

「北前船 寄港地と交易の物語」が面白い

‎ 加藤 貞仁・著、無明舎出版 (2002/10)のオールカラー
これまでに訪ねた箇所が随所に紹介されており、また訪ねてみたくなったり、新しく訪れてみたい箇所がてんこ盛りです。
例えば2021年暮れに訪れたとびしま海道の御手洗
この本には「オチョロ舟の御手洗」、北前船全盛の頃の御手洗は「西国無双の港」と紹介されています。
西国無双というだけでもすごいですね。
小生のブログでも
「北前船の風待ち・潮待ち寄港地「御手洗」」
「歴史の裏舞台「御手洗」
と2回、御手洗を取り上げていますが、この本のわずか2ページの御手洗に関する紹介を読むだけでも、また御手洗を訪ねてみたくなります。

「オチョロ舟」とは遊女が船乗りのもとへと漕ぎ出す舟のこととありますが、船乗りの衣類洗濯た繕い物までしたというそんな遊女たちの墓地のことは知りませんでした。
「歴史の影に女」有りではありませんが、この本には「御手洗の繁栄の半分は、彼女らの貢献によるものだっただろう」とあります。
大きくうなずけます。
 
この本の出版時、御手洗へのアクセスは竹原か上蒲刈島から船と紹介されていましたが
しまなみ海道を南下し大三島の宗方から岡村島の岡村港までフェリー
岡村島から御手洗のある大崎下島へは、中ノ島、平羅島を経て安芸灘オレンジラインを結ぶ橋があり、豊島、上蒲刈島、下蒲刈島を経て本土(呉)につながるとびしま海道を車と自転車で走らせていただきました。

年末の旅を一緒にしている叔母と